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「やらかしちまった」の魅力。

どぶろっく風に言うと「やらかしちまった」というべきだろうか。大晦日に「義母と娘のブルース」を見始めて録画した経緯は先日述べたのだが、まさか正月明けの二日に続きがあるなどとは露知らず、途中で挫折することとなった。転ばぬ先の杖。調べておくべきであったなと後悔する。

原則段取り八分の姿勢で臨む僕として突発的な事象への弱さを露呈してしまったのは、やはり年々お肌とともに衰える”気持ちのハリ”のせいだ。急にボールが来たら外してしまうストライカーもいた。訓練はともかく本番ではそのような場面が存在し、数多く手にしたほうに栄光は訪れる。

サッカーの勝ち負けを決するのは「失敗の連続による刹那」だと僕は思う。失敗が存在しない試合などあり得ないし、その失敗の連続を自分たちの味方にするか敵にするかによって結論付けられたエンディングへと結びつく。それは当然のことながら選手だけでなくレフェリーにも言える。

見切れないドラマに衝撃を受けた僕は、DAZNで放送されている「Jリーグジャッジリプレイ」を見る。2019シーズンは不可解なジャッジ(まあ取り消しされたものもあるにはあったが)が実に多かったが、それら以外にも細かな部分で難しいレフェリングを求められていたような気がする。

Jリーグでも2020年からVAR(Video Assistant Referee)が導入される。その名の通り4つの視点(得点の有無、PKの有無、一発レッドカードの是非、選手の退場や警告処分の間違い)で主審のアシストを行なうのだが、既にスタートしているリーグでは多くの問題点があるのも聞いている。

すき焼きのミスは取り返せる。だが試合ではそうはいかない。必然というと聴こえが悪いが「やらかしちまった」もJリーグそしてサッカーの魅力のひとつだと僕は感じる。既に失敗を前提に段取りをしてくださっているのだろうが、その魅力をどうか消さないようお願いしたいものである。

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