スキップしてメイン コンテンツに移動

「まあこんなもんでいいか」が多過ぎる。

東京に戻ってきて呆けていた。どうも脳と身体と胃(特に)を使い過ぎたようだ。それほど睡眠は取らないが、それこそボーッとしている時間がこの週末は多かった。そんな中で本を読み映画を見てサッカーを味わう。ときには人生に休息も必要だ。年齢的にも持たなくなってきているのだ。

セレッソ大阪U-23の試合をYoutube Liveで見た。正しく書くとすればAmazon Fire StickのYoutubeアプリで見ていた。映像遅延らしきものもほぼ無く比較的安定して流れていたように思える。世界中のサッカーはインターネットのなかですべてつながっていくのではないかと思わせてくれる。

それにしても試合結果については非常にいただけない内容だった。ここからトップチーム昇格に向けて戦っていかなければならないのに、なかなか良いプレイを見せられなかった選手が多いなと感じた。前々から伝えているが、ここで終わっていいと思うのならば、この先の未来はなさそうだ。

サッカーの世界だけでなく身近なところ(勿論僕自身含めて)でもこの「ここで終わっていいのか?」が多過ぎる。なんだか短時間で「まあこんなもんでいいか」と自己評価してしまっている感がある。子供の頃の夢を続けられるほうが稀で、一般人は及びもしないということなのだろうか。

確かに社会のしくみの問題や環境も影響有るかもしれない。他人と比べたときの絶対的な差なんてものも、そこに存在しているかもしれない。しかしながら僕は思う。それでもいいやんか。ただひとつ。「ここがゴール」だなんて思わないでいい。そう判断するのは紛れもない、自分自身だ。

物事を終わらせるのも自分。ここから先の人生を組み立てていくのも自分。「まあこんなもんでいいか」は本気の自分への裏切り行為でもある。本当に好きなものならその気持ちが必要なのだろうなと思う。だから例えばサポーターが好きなら、その思いに「まあこんなもんでいいか」は無い。

前述に戻る。背番号が、この大会用になっていたため少々選手を確認するのがとても難しかったが、試合が進むに連れて動きで分かるようになってきた。やっぱり短時間で物事を見定めるのは困難なものもある。じっくりと時間をかけて「まあこんなもんでいいか」をぜひ減らしていきたい。

話は違うが冒頭にも書いた映画のこと。「ジャックは一体何をした?」と「ラストレター」について記しておく。改めてこの場を借りて伝えたいと思っているが、凡人には正直理解に苦しんだのだった。とは言っても僕がこの道のプロでもになるわけでも無いし「まあこんなもんでいいか」(おい)。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コメント

このブログの人気の投稿

記録というものは無いよりはあったほうが良い。

別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

 #コールリーダーウダウダ 200試合出場記念ステッカーが多くの方の手に届いていることを願う日々。大した話でもないけれど、ごくごく小さいことを積み重ねてきた結果なのだとも思う。 セレッソ大阪のコールリーダーは、1993〜1994年から30年以上連綿と続く旅路なわけで、この絆はちょっとやそっとじゃ崩れない。セレッソ大阪は、Jリーグはそうやって成長してきた。 その、言葉では表現しにくい、人間的なつながりを、スペースでは出しているつもりなのだが伝わっていれば嬉しいところ。だからこそ、今、ここにいる意味なども意義もあるのだろう。 ステッカーの画像をSNSでアップしてくれているのを見る。ふと胸が熱くなる。やってきたことや、やり続けてきたことの全てが、正しいものではないことも重々理解をしているつもりだ。 だけどそれらは、決して間違ってもいなかったのだなとも思えて、人間的なつながりに感謝してしまう日々。その輪がここまで大きくなり、そしてここからも更に大きくなっていくはずだ。 だから、続けられるだけ続けよう。昔ある人に言われた言葉。「『継続は力なり』とか言うがあれは嘘や。ほんまは『共に継続する仲間がいることは力なり』なんや」。これ、まさに本質。 ※ステッカーはイバのところにも若干あるので、もし手に入らなかった方は、スタジアムやお店などで見かけたときに声をかけてください。人と人のつながりから何かが始まりますよね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP