今回のテーマはセレッソ女子。いわゆる「セレ女」。ブームだったかどうか(そういう定義もどうかとは思うが)はさておき、彼女たちが支えていると言っても過言ではないだろう。。スタジアムの雰囲気やソーシャルメディアなどを拝見していても、その素敵な空気に満ち満ちている。
今では「セレ女」と言うキーワードを発することもないくらい、セレッソ大阪サポーターは老若男女様々な方々が自然と集まる良い組織になっているなと感じる。「美学生図鑑」編集長で、かつご自身がカメラマンでもある辻村さんからの質問と併せて今回も拝読いただければ幸いである。
(全て当時書き起こしていただいたママ)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※ここからは、事前に用意していた質問を伊庭さんに聞いてみます。
■セレ女ブームについて
轟:
少し前に「セレ女」という言葉が出てきたじゃないですか。これについてはどう思いますか?
伊庭:
例えば、柿谷選手のサッカーをやっている姿を見たら、女子じゃなくても男でもシビれるじゃないですか。やっぱりそういうところに惹かれている、ってところもあると思うんですよね。
サッカーの質によって、ついてくるファンの数が変わるっていうのは大きいかもしれない。
女子も増えているのかもしれないけど、男のほうが圧倒的に増えているという気が僕はしますね。
極論の話をすると、ある程度、ゴール裏は「男の文化」的なところがどうしてもあると思うし、それは避けて通れないみたいなところがあります。
男女について言うつもりはないです。言うつもりはないんですけど、男と男のほうが、殴り合ってわかる、ということがあるんやろなとは思います。
例えば、殴り合いの喧嘩やったあととか結構仲良くなったりすることってありますよね、男って。そういうのがスタジアムでは結構多いと思います。
でもやっぱり、女子のパワーっていうのは絶対あったほうがいいと思うし、受け入れていくべきやとは思いますよね。
でも、セレ女がどういうところに喜びを感じてどういうところに嬉しさを感じて・・・というポイントが、俺はあんまりわかってなくて。
例えば、スタジアムに行ったことがないけど、自分のことをセレ女やと思っている人がどんだけいるんやろとか。
練習場だけ行ってスタジアムには行ったことがない、 テレビで応援するけどスタジアムには行ったことがない みたいな人たちは、どういうところに楽しみを持ってやっているんやろとか、そういうのを仮説立ててみても面白いかなと思います。
あと、セレ女というものがステータスとして確立して、自分たちがセレ女としてどうするべきかということを彼女たちが考え出したら、多分すごく強い仲間になると思うんですよね。
セレ女の居場所をセレ女自身が作る、もしくはセレ女の居場所をどっかで作る、というのをやったらいいと思いますよ。
■カメラを通してできること
轟:
辻村さんは、Webメディアの編集長・カメラマンという、サッカーと絡められそうな魅力的な仕事をされているんですが、何かセレッソと絡めてこんなんしてみたらいいなと思うことはありますか?
伊庭:
ちょっと話はそれるかもしれないけれど、セレッソができたのが約20年前なんで、20年前に生まれた人はちょうど20歳くらいということじゃないですか。
(もし自分がその立場だったら)高校や中学を卒業する時とか就活をする時に、セレッソとどう関わっていくかっていう悩みみたいなんが多分あったと思います。
ひとつは、セレッソのクラブの中に入ったり何かしらセレッソと関わりのある仕事に就いて働くという形。もうひとつは、働いたお金でクラブに何かを還元したいという形。
俺は18歳のときに会社に入って、その頃はちょうどバブルの全盛期でした。会社に入って4年目くらいのときにJリーグができて、最初はガンバ大阪を観に行ったりして、Jリーグってすごいなと思ったんです。
93年の夏にセレッソができるってときに一番最初に思ったのは、サポーターっていうものを「すごく」したいなというのと、もうひとつは、どうしたらうちの会社はセレッソのスポンサーになれるんやろって。
どうやったら会社というものがスポンサーになるきっかけになるんやろとかみたいなことを考えたりしていました。そういう二面的な入り方はあるかもしれないですね。
金を出して口も出すというタイプと、手とか足とかを出してセレッソのために何とかする、というふたつがあるかなと。
蹴球堂のときも最初、どっちかというと自分が汗水垂らして何かをするというのはあんまりしたくなくて(笑)
俺はスポンサーになりたかったから、年間に50万円とか100万円をクラブに納めて、クラブのスポンサーになれるんやったら、そっから手始めにやろうかなと思ったくらいですから。
そういう意味で多分2パターン可能性があると思います。
話は本題に戻りますけど、写真撮影の技術を持った人のセレッソとの関わり方に関して。
サポーターをフィーチャーする点で何か絡めたらいいかなと思います。
昔、Jリーグのサポーターを取り上げた雑誌なんかもあったりして取材を受けたりもしたけど、やっぱりもっと一人ひとりのサポーターをフィーチャーしたメディアがあればいいかなぁという気がしますね。
例えば20年の間にやっぱりね、多くの人が亡くなってるんですよ、セレッソのサポーターも。
その人たちが忘れ去られてるわけですよ。風化されていくわけですよ。
そういう人たちをもう少し取り上げてもいいかなと。
一人ひとりが偉大な人やと思ってるし、こんなにセレッソが好きでセレッソに愛を注いでいた人がいたという歴史を全部残せたら、
「やっぱりセレッソってちゃうやんけ!」
っていうクラブになっていくかなと思います。
どっちかというと、今いる人たち以上に、いなくなった人たちの方に俺はなんかノスタルジーを感じるんですよね。
もしかしたら50年後100年後とかに、
「俺はもうお墓は要らないからセレッソのあのページにだけ載せてくれ」
「長居スタジアムに散骨してくれ」
とかあったらいいのにね、って思います。
写真とか記事で、多くのセレッソに関わる人たちに歴史を伝えることができたりする、そんなメディアがあればいいかなとずっと考えてます。
次に続く。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
今では「セレ女」と言うキーワードを発することもないくらい、セレッソ大阪サポーターは老若男女様々な方々が自然と集まる良い組織になっているなと感じる。「美学生図鑑」編集長で、かつご自身がカメラマンでもある辻村さんからの質問と併せて今回も拝読いただければ幸いである。
(全て当時書き起こしていただいたママ)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※ここからは、事前に用意していた質問を伊庭さんに聞いてみます。
■セレ女ブームについて
轟:
少し前に「セレ女」という言葉が出てきたじゃないですか。これについてはどう思いますか?
伊庭:
例えば、柿谷選手のサッカーをやっている姿を見たら、女子じゃなくても男でもシビれるじゃないですか。やっぱりそういうところに惹かれている、ってところもあると思うんですよね。
サッカーの質によって、ついてくるファンの数が変わるっていうのは大きいかもしれない。
女子も増えているのかもしれないけど、男のほうが圧倒的に増えているという気が僕はしますね。
極論の話をすると、ある程度、ゴール裏は「男の文化」的なところがどうしてもあると思うし、それは避けて通れないみたいなところがあります。
男女について言うつもりはないです。言うつもりはないんですけど、男と男のほうが、殴り合ってわかる、ということがあるんやろなとは思います。
例えば、殴り合いの喧嘩やったあととか結構仲良くなったりすることってありますよね、男って。そういうのがスタジアムでは結構多いと思います。
でもやっぱり、女子のパワーっていうのは絶対あったほうがいいと思うし、受け入れていくべきやとは思いますよね。
でも、セレ女がどういうところに喜びを感じてどういうところに嬉しさを感じて・・・というポイントが、俺はあんまりわかってなくて。
例えば、スタジアムに行ったことがないけど、自分のことをセレ女やと思っている人がどんだけいるんやろとか。
練習場だけ行ってスタジアムには行ったことがない、 テレビで応援するけどスタジアムには行ったことがない みたいな人たちは、どういうところに楽しみを持ってやっているんやろとか、そういうのを仮説立ててみても面白いかなと思います。
あと、セレ女というものがステータスとして確立して、自分たちがセレ女としてどうするべきかということを彼女たちが考え出したら、多分すごく強い仲間になると思うんですよね。
セレ女の居場所をセレ女自身が作る、もしくはセレ女の居場所をどっかで作る、というのをやったらいいと思いますよ。
■カメラを通してできること
轟:
辻村さんは、Webメディアの編集長・カメラマンという、サッカーと絡められそうな魅力的な仕事をされているんですが、何かセレッソと絡めてこんなんしてみたらいいなと思うことはありますか?
伊庭:
ちょっと話はそれるかもしれないけれど、セレッソができたのが約20年前なんで、20年前に生まれた人はちょうど20歳くらいということじゃないですか。
(もし自分がその立場だったら)高校や中学を卒業する時とか就活をする時に、セレッソとどう関わっていくかっていう悩みみたいなんが多分あったと思います。
ひとつは、セレッソのクラブの中に入ったり何かしらセレッソと関わりのある仕事に就いて働くという形。もうひとつは、働いたお金でクラブに何かを還元したいという形。
俺は18歳のときに会社に入って、その頃はちょうどバブルの全盛期でした。会社に入って4年目くらいのときにJリーグができて、最初はガンバ大阪を観に行ったりして、Jリーグってすごいなと思ったんです。
93年の夏にセレッソができるってときに一番最初に思ったのは、サポーターっていうものを「すごく」したいなというのと、もうひとつは、どうしたらうちの会社はセレッソのスポンサーになれるんやろって。
どうやったら会社というものがスポンサーになるきっかけになるんやろとかみたいなことを考えたりしていました。そういう二面的な入り方はあるかもしれないですね。
金を出して口も出すというタイプと、手とか足とかを出してセレッソのために何とかする、というふたつがあるかなと。
蹴球堂のときも最初、どっちかというと自分が汗水垂らして何かをするというのはあんまりしたくなくて(笑)
俺はスポンサーになりたかったから、年間に50万円とか100万円をクラブに納めて、クラブのスポンサーになれるんやったら、そっから手始めにやろうかなと思ったくらいですから。
そういう意味で多分2パターン可能性があると思います。
話は本題に戻りますけど、写真撮影の技術を持った人のセレッソとの関わり方に関して。
サポーターをフィーチャーする点で何か絡めたらいいかなと思います。
昔、Jリーグのサポーターを取り上げた雑誌なんかもあったりして取材を受けたりもしたけど、やっぱりもっと一人ひとりのサポーターをフィーチャーしたメディアがあればいいかなぁという気がしますね。
例えば20年の間にやっぱりね、多くの人が亡くなってるんですよ、セレッソのサポーターも。
その人たちが忘れ去られてるわけですよ。風化されていくわけですよ。
そういう人たちをもう少し取り上げてもいいかなと。
一人ひとりが偉大な人やと思ってるし、こんなにセレッソが好きでセレッソに愛を注いでいた人がいたという歴史を全部残せたら、
「やっぱりセレッソってちゃうやんけ!」
っていうクラブになっていくかなと思います。
どっちかというと、今いる人たち以上に、いなくなった人たちの方に俺はなんかノスタルジーを感じるんですよね。
もしかしたら50年後100年後とかに、
「俺はもうお墓は要らないからセレッソのあのページにだけ載せてくれ」
「長居スタジアムに散骨してくれ」
とかあったらいいのにね、って思います。
写真とか記事で、多くのセレッソに関わる人たちに歴史を伝えることができたりする、そんなメディアがあればいいかなとずっと考えてます。
次に続く。
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