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組織の信用と信頼と。

僕のような吹けば飛ぶような存在も人間。そしてプロサッカー選手のような華やかな方々も同じ人間だ。その人間が社会で生活する様は皆同じで、人間を人間たらしめるという点では一般人も偉い方も、もちろんサッカー選手であっても同様だ。

Jリーグが絡んだ残念なニュースを見るとどうしても他人事に感じられなくなるのが僕らサポーターでもある。試合ではお互いの威信をかけて戦うのだが、終了のホイッスルが鳴ると敵味方関係なく、サッカーが好きな「アミーゴ」になるからだ。

もう一度書いておく。僕らは人間だ。サッカー選手である前に、また、サポーターである前に、ひとりの人間なのだ。生を受けて、命尽き果てるまで、僕らは人間であることを意識して生きていかなければならない。それが、課せられた宿命だ。

しかしながら、どうしても、ひとりではどうしようもないこともこの世の中には多い。だからこそこの世には組織というものが存在して、仲間同士で高め合う。道に迷ったら手を差し伸べ、道に逸れたなら軌道を戻す努力を行なう。それが組織。

そこには信頼というものがある。人間など非常に曖昧な生き物だ。なので、信用ではなく信頼なのだ。信用は一方通行だが、信頼は相互の関係が無ければ成立しないと僕は考えている。そういう意味で、人間と組織は信頼関係を持つ必要がある。

信頼とは、築くときにはものすごく困難だが、崩れるのはまさに一瞬の出来事だ。だから信頼している信頼されていることに誇りを持つ。その信頼を互いにアップデートしていく。それこそが人間を人間たらしめる行動なのではないのだろうか。

特に何かができるわけでは無いのだが、某クラブにレゴ®︎シリアスプレイ®︎を提案しているのも僕なりの理由がそこにはある。人間は強い。強く見える。そして人間は弱い。どうしようもないくらい人間は弱い。僕自身、それをよく分かっている。

その人間の弱さを支えるために組織というものは存在するのだ。お節介と言われるかもしれない。薄っぺらいと言われるかもしれない。こういう人間がいるのだと、少しでも届いてくれれば。だから、今ここに「止まらない、諦めない」を贈る。

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