ここ五試合で一勝四敗。失点も二桁にのぼっているわけだ。「何かを考えないといけない」とクラブが監督が思ってないわけがなかろう。僕らはクラブを信じて未来を歩む以外ないのだが、言いたいことも言えないこんな世の中なのもpoisonだ。
スタッフや選手と比べたら「クラブの歴史」という観点で見れば僕らサポーターのほうに利があるのだろう。だが、今この瞬間を戦うのはあくまでも彼ら。その彼らを信じられないのであれば、ここにいる理由は一体何なのだろうか、となる。
考えてみたらこういう負け方など、この二十数年間には数え切れないくらいあった。慣れっ子になるのは癪なのであまり書きたくはないが、たかが一試合の話でもある。敗戦の無いシーズンなどあり得るわけもなく、常に勝負とはそういうもの。
とは言え、この一戦にすべてを賭けているファンやサポーターもいるにはいる。そんな場面を何度も見て、共に泣いて笑って僕らは生きてきた。そういうものが歴史であって「長いから」「短いから」だけが点のように重なってきたのでは無い。
僕らは常に点ではなく一本の線でつながっている。その線のところどころに「今」が存在しているのだ。過去も大事。未来も大事。「今」も大事。その線が結ばったり絡まったりした先でふと振り返ると、刹那の連続が歴史として紡がれている。
僕はいつもそんな場面を回顧しながらセレッソ大阪と付き合っている気がする。人間の一生は長そうで短い。セレッソ大阪の歴史の中で考えれば、シンクロする時間などほんのわずかだ。だからこそその一瞬にすべてをかけるのが僕らの使命だ。
僕は思う。今、改めてセレッソ大阪サポーターとしての立ち位置を考えるべきだ、と。何度も何度もこんなことを書いていく。そして伝わるべき人に伝わること。考えてほしい人に届くこと。切に願いながら書き続けるのだ。多分、死ぬまで。
分かってくれる人、分かってくれない人。いるだろう。当然ながらゴール裏にいる身内にも理解できない人は存在するはずだ。それでも、やれることをやっていくだけ。この横断幕は常に僕の胸の中で張られ続けているのだ。多分、死ぬまで。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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