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最新のGoogleカレンダーは程よく無駄を削る。

寒暖差アレルギーなのだろうか。かなりのくしゃみっぷりで辛い週末だった。それ以上に辛い思いがふたつもあってなんとなく中和されている感もある。歳を取れば取るほど何らかの違和感に悩まされる。この世界には希望も、それ以外もある。

そんな世の中での暮らしをほんの少しでも良くしていこうと日々努力しているが、なかなか上手くはいかない。だからこそ、時間の流れだけでも自分の味方にしようと、様々なツール、アプリケーションを駆使しながら工夫していく毎日なのだ。

無駄にしている、いや正確に言うと無駄にしていることに気づけていないのが実情だ。例えばだが資料を検索する時間は一日20分と言われている。年間で80時間も費やしていることになる。時間をどのように活かしていくのかにかかっている。

紙よりはましにはなったが、データを検索するのもコツを知っているのと知らないのとでは天と地ほどの差だ。ITの力を活用することこそが、これからの時代を生き延びれるのではないかと思えてしまう。だが、すべての方が、そうはいかない。

業界にいる身として、Googleカレンダーの利用を奨めたいと思う。最近このGoogleカレンダーのモバイルアプリがアップデートされてより便利になったのだ。これでスケジュール、ToDoリスト、リマインダーをすべてを網羅できるようになった。

これにより僕は、Gmailで受信したメールをToDo化して登録することでGoogleカレンダーに追加する。日時を設定して気づきと適切な実施を促す。リマインダーは作業というよりも、準備に気づきを与える。これにより早め早めの行動が可能だ。

どのように日時を決めていくのか。ここで「7つの習慣」が役に立つ。この駄ブログでも再三書いてきた「重要性」と「緊急性」。このふたつの要素を意識して、時間を設定していく。同時に自分自身の学びとして「ゴール」機能も積極的に使う。

今までバラバラの確認が必要だったわけで、ぶつ切りで細々と無駄にしていたこの部分での時間短縮は本当に素敵なことだ。これで生活のすべてをGoogleカレンダーで賄える。この日が来ただけでも自分がアップグレードされた気持ちになった。

コツコツと無駄を削ってみたら、なんと自己研鑽に利用できる時間が増えていった。「時間ナイナイ運動」とはもうおさらばだ。最近はトラブルも多いGoogle(Gmailが止まるので少々辛かった)だが、やはり生活の一部として定着している。

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