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鼻の異常を乗り越えて。

寒くなったり暖かくなったりしている関係だろうか、花粉の痒さとはまた違った形で、鼻が異常を訴えている。だが、三月に打ってもらった注射のおかげだろうか、秋の恒例行事は比較的楽に過ごせている。医療とは素晴らしいと感じる瞬間だ。

そうは言いながら、やはり、病院が苦手なのは子供のころからまったく変わらない。だがそれは、お医者さんが怖いという感情からなのではなく、まさに「病院に行くのが苦手」という言いかたのほうが、この場では正しいのではないかと思う。

それでも、何度も(実のところ、幼少期や少年期は病弱だった)お世話になっているわけでもあるのだ。だからこそ医療関係の皆さまにはいつのときも感謝の思いしかない。そんな気持ちが頭の中と心の中を駆け巡るという感情が、常にある。

今、とある事情があり、少し医療関連の勉強をしている。まったくのお門違いも甚だしい状況のなかであがいてもがいている五十歳。集中力が保たれているのも注射のおかげだと思う。正直、足を向けて寝られないな、とか本気で思ってしまう。

今日たまたまKING KAZU三浦知良選手の話題になった。何となくだが、アラフィフを迎えて、そして超えてからのボディケアが大事なのだなと感じてしまった。カズ選手がサッカーのプロフェッショナルなら、僕は、別の形のプロを見せていく。

健康に留意しながら、常に何かを学び続けなければならないのだなと肝に銘じる。兎に角、前に進むしかないと改めて決意を固める。さあ、明日は杜の都でレゴ®︎シリアスプレイ®︎のワークショップが待っている。鼻がもってくれればいいのだが。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

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今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP