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第24節 浦和レッズ戦。

もうこれで、正真正銘の最後となるのだろう。三勝三敗三分けというまったくの五分で迎えた、十回目のU-23大阪ダービーマッチ。感情に浸りながらその試合を見ていた。結果的にはこれで良かったのかな、と思ったりする自分も存在している。

それにしても昨日の浦和戦。今日の「これぞダービー」と感じてしまうくらいの熱い試合を見てしまった以上、書くことがとても少ないゲームだったなと感じてしまう。二位を目指す情熱を見せたかと思えば次節ではこんな試合になってしまう。

まだまだ真の強さが身に付いているわけではないのは重々承知している。今年の変則的なリーグの恩恵を受けているのも重々承知している僕ら。だからこそ一試合一試合に重みがある。その目の前の試合を大事にできるかどうかにかかっている。

そのなかで非常に印象の薄い試合になってしまうのが非常に口惜しい。次の大阪ダービーマッチでその鬱憤をすべて晴らすことができるだろうか。僕はもちろんテレビ観戦になるのだろうが、今日のU-23のように記憶に残る戦いを見せてほしい。

さて、ゴール裏サポーター(今は集まることはできないけど)の話を色々と聞かせていただいた。書けるような内容では無いのだけれど、この状況において目的をひとつにチームを導けるファクターのひとつがゴール裏のウルトラだと僕は思う。

ウルトラのひとりひとりが真剣にセレッソ大阪と向き合って、応援だけではなく、真のサポートが見えることを願ってやまない。あと、感じたのだが、やはり太鼓は、スタジアムをひとつにするための道具なのだな。そのためだけにあるのだ。

うちの太鼓打ちも多分こういう試合からそんなものを学んだのではないだろうかと推測する。太鼓打ちとは、叩きたいから叩くのではなく、スタジアムを声を拍手をひとつにする覚悟の上に存在する。二十数年の歴史。そんなに甘くはないよね。

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