激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP
セレッソ大阪の過去の試合を思い出そうとして、いろんな情報が入り混じってしまうケースが多々ある。ゴールを決めたのは誰だったか、あのとき退場になったのは?これだけ見てきても誤った歴史観を持つことも多い。人の記憶など不確かだ。
ご存知の通り、子供の頃から坂本龍馬が好きだった。このどちらにも当てはまらなかった。脱藩浪人という響き。組織の枠にとらわれず自由奔放に生きる姿。非業の最期を含めて憧れていたが、それがいつからなのかも、ほとんど覚えていない。
歳を取り、様々な文献に目を向けてきた結果、多くの疑問や謎が溢れ出してきた。情報操作されているとまでは言わないが、実はそういった見方をするように流されていたのかもしれない。現に、教科書から名前が消えるなんていう話題もある。
ようやくこの流れの中で自分自身の史観も固まってきたような気がする。たかだか150年前の歴史ではあるのだが非常に難解だ。だからこそロマンがあり、そして人の気持ちを掻き立てさせる。こんな文章を書いていたら、一生終わらないだろう。
だからこそ、ずっとおざなりになっていた「幕末を語る会」をそろそろ進めていきたいと思っている。仲間が集まらないこと必至ではあるのだが、たったひとりでも考えていこうと思う。やはり第一回目は「坂本龍馬暗殺の犯人は誰か?」かな。
「龍馬裁判」という映画がある。いろいろと考えさせられるし、加治将一先生(監督)の小説が好きなので、それだけでもありがたい。自分の考えと合っているかと言われると疑問符以外出ないのだが、様々あっていいのが人それぞれの史観だ。
話は戻るがセレッソ大阪の歴史を振り返る時間があれば、遠い昔の映像など見てみたいなと思う。ゴールシーンとかだけでなく、歴史の影に埋もれそうな一面なども拝見できればなお嬉しい。クラブが何か考えてくれないかと、少々祈ってみる。
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