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クラブ愛。あればこそ。

身近にも新型コロナウイルスに感染した方が増えてきた。幸いにも僕はまだのよう(鈍感なだけかもしれないが)なのではあるが、このウィズコロナな世の中では「いかに感染しないか」よりも「いかに感染させないか」が重要になりそうだ。

とは言いながらも例のマスクの件があったりと、人の思考というものは実に様々だ。花の粉の関係で年がら年中手放せない(注射のおかげでかなりマシになった)僕にとっては必需品だが、マスクが思いのほか苦しい方もいるとは聞いている。

サポーターもそうだ。先日ある方からサポーターグループについて聞かれたことを思い出した。Jリーグのクラブにはいくつものサポーターグループがあって、仲が良いクラブもあれば、なかなか相容れないクラブもある。僕もいくつか経験した。

それぞれサッカー、クラブ、サポーターとしての立ち位置にこだわりがあり、こだわりが無ければもちろんのこと淘汰されていくのがサポーターグループだと僕は思っている。そんな話を滔々としてしまい、なんだか申し訳なく思ったりする。

そして、思いの違いを越えられるケースと越えられないケースも存在するだろう。いくら話し合ったところで鍵と錠のようにガシッとハマってくれればいいのだが、そんな場面ばかりでもない。人と人が何かを行なうのはそれほど簡単では無い。

そのためにはお互いへのリスペクトの思いと、思いを深める対話の時間が必要だ。昔はそれを嫌というほど思い知らされたが、現代ではどのように対話の場を設けているのかとても興味がある。同じクラブを愛している同士。通じるものもある。

ウィズコロナの考え方と一緒だ。相手がどう考えるかよりも、自分がどう考えるか。答えは自分の中にあってそれをどう表現するかだ。「いかに感染させないか」同様に、相手を慮ることができるか。人間関係とは結局そこに行き着いてしまう。

それは、綺麗な横断幕じゃなくとも、チャントが格好良いとか悪いとかでなくとも、永遠に続いていく。伝道師でもないのだが、例えればそれが愛だ。スタジアムに集い、好きなクラブを応援し続ける。そこにいる仲間とともに生きていくのだ。

そしてクラブへの愛があれば、そんなものは必ず成し遂げられるだろう。そのために何より先にクラブ愛を磨こう。そのクラブ愛を伝えるしくみを作ろう。その向こう側に見えてくるものがあるはずだ。自戒の念も込めつつ偉そうに書いておく。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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