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リアルなコミュニティという。

サッカーショップ蹴球堂が復活して四ヶ月と少しという神無月。スタジアムの観客も二万人くらいまで入場できるようになり、F.C.OITOとともにお客様が来てくださることが多くなっている。本当にありがたい話でもあり嬉しい気持ちが増える。

2006年からスタートしたこの旅だが、多くの方と一緒に走ってきて、今ここにいる。ファンやサポーターだけでなく、大阪のサッカー文化に変化を促そうとひたすら前に進んできた。結論は、サッカーだけではなく、多くの文化と交わることだ。

それは「FOOTBALL」に含まれる八つのフィロソフィーとしてのキーワードだけでなく、長居スタジアムで育った僕らの生き方そのものに関わってきていることかもしれない。常に人と人が交わり、喜怒哀楽のなかで生きてきた僕らだからこそ。

デジタル全盛期のなかで融合しながらリアルなコミュニティを追い求めていく。どのように絡まり合いながら僕らの文化への道筋になっていくのかを考えると、本当にワクワクが止まらなくなってしまう。夢のような話。だから面白いのだろう。

久々にGoogleマップやビジネスサイト、動画などを整理する機会があった。わずか四ヶ月、OITOを考えてもまだ五ヶ月なのだがもうずっとそこに存在しているかのようないでたちでもあった。僕らはここに来ることを運命付けられていたのか?

お好み焼きCHANTが、サッカーショップ蹴球堂がそうだったように、このJR鶴ヶ丘駅から歩いて数分の場所には、リアルなコミュニティという文化が根付きつつある。長い短いは無いのだけれど、是非サポーターの歴史で盛り上がりたいものだ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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