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コールリーダー論。

全ての面で良いか悪いかは別にして、僕が幕末明治の歴史が好きな理由のひとつに、個性的なリーダーが多いということが挙げられる。しかもそのリーダーが武力を中心とした人物だけでなく、武士の時代の終焉に向けた知識力や情報力に長けていた人物も数多く、急激な日本成長の立役者となっていった。

二十代三十代で政権交代(明治維新)を成し遂げ、数々の要職に付きながら年月を重ねていった志士たちも人間。人間だから一年に一度は歳を取る。次の代に受け継いでいく方がいる一方で、どうしてもその地位に居続ける方もいた(もちろん必要だったのもある)。継承とは本当に重要な事項だと感じる。

先日、セレッソ大阪ゴール裏のコールリーダーと話をしたときに感じたモヤモヤ(もちろん良い意味での)。そのモヤモヤ。このコールリーダーという立ち位置は、ある日突然生まれるものか、それとも、代々、綿々と受け継がれていくものなのか。これだけJリーグを見てきてもよく分からないのが本音だ。

他クラブはともかく、セレッソ大阪だけを見ていてもその流れがよく分かる気がする。当たり前のことだが人は毎年ひとつずつ歳を取っていき、その、わずかひとつの年齢を重ねるのと同時に、社会での責任もひとつ(どころではないだろうが)増えていく。当然、スタジアムを訪れる回数にも影響が出る。

スタジアムで大勢のサポーターのとともに、選手たちのその一足を踏み出させることができなくなっていき、信頼できる誰かにその任を引き渡していく。CEREBAKAで話したなかでもオフレコな部分で、そのような話をしたことを思い出しながら、コールリーダーとは、如何に難しい生き物なのかと感じた。

次のコールリーダーで第7世代になるそうだ(信じるか信じないかはあなた次第)。得るものはとてつもなく少なく、逆に応援などになにか問題があれば真っ先に矢面に立たされる。それでも、だ。常にコールリーダーを目指しているサポーターは少なくない。責任同様に、これはまるで社会の縮図のようだ。

コールリーダーという立ち位置はやってみなければ分からない。他の方や選手たちであってもこれは多分理解できないだろう。それを受け継いでいくのだ。かなりの志でないとやっていけない。ユズリハという木は、前年の古い葉は新しい葉が出るまで待って、その場を譲るかのように落葉していくらしい。


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