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物忘れは罪深い。

昨日お願いした写真はまだ反応は無い。ゆっくりと待ち続けていようかと思っている。やはり、そのときそのときの風景をしっかりと収めておくことをしないといけない。最近はもうそれこそ、何でもかんでもiPhoneで撮影してGoogleフォトに上げてしまう。画質などそれほど拘らない適当感が良い。

僕にはまさにこの適当感という言葉がよく似合う。写真もそう。撮らないといけない場面ですっかり忘れていたり、あとになって気づいたりの連続だ。これは別名「物忘れが酷い」とも言う。ついさっきあったことをすぐに忘れてしまうのだ。どこかの誰かがいつもフォローをしてくれているのだろう。

そう。人がびっくりするくらい、僕は本当に物忘れが酷い。買い物に行けば何かを忘れる。冷蔵庫から出したものも直すのを忘れる。持っていた本のことを忘れて同じ本を買ってしまう。ただ、そんな僕でも、大事なことは忘れることはないだろうと根拠の欠片もない自信だけはあった。その日までは。

ある日、2000年5月27日の写真を探しているとき、あるフォトグラファーに相談することにした。「あのときの写真をブログで使いたいんやけどー」。返ってきた言葉は「その頃はまだ旗振ってたわ」だった。そうだった。すっかり忘れていた。この物忘れは本当に罪深いと改めて自分を恥じたのだった。

物忘れだけではなく人は自分の都合のいいように物事を解釈してしまうもの。時が流れるとともに変わっていくものばかりなのだ。現状がそうだからといって、必ずしも昔からずっとそうだったわけではないと、もうそろそろ僕は理解すべきだった。そんなことを考えながら当時を思い出して独りごちた。

今、F.C.OITOでは、FOOTBALL「A」であるArtの一環として写真展を催している。至極の作品たちが店舗を彩っている(はずだ。というのもその場を僕は見ていないから上手く説明できない)。セレッソファンの皆さんには開催期間中に是非お越しいただきたい。忘れてしまわないうちに告知しておく。

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