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「ニューノーマル」で時間を作る。

インターネットショップであるサッカーショップ蹴球堂BASE店で購入いただくことが多くなっている。蹴球堂のリアル店舗がない今、方法としてはOITOかBASEかになっているわけではあるが、それでもインターネットでの購入がシフトしているのは新型コロナウイルスの影響がとりわけ大きい。

「ニューノーマル」という言葉が新型コロナウイルスの最中に歩き回っている。決して独り歩きしているわけでもなく、かと言って半歩前を闊歩しているのでもなく。特にITも絡めたこの議論については、今でも起こっている様々な変革の色合いを如実に表していると非常に関心を持っている。

では一体ニューノーマルとは何なのか。Wikipediaの一部にはこう描かれている。「この言葉は、以降、様々な文脈で用いられるようになり、かつては異常とされていたような事態がありふれた当然のものとなっていることを意味するようになった。」。当たり前の話だが真面目に書かれている。

今、身の回りだけでも多くのニューノーマルが見え始めている。キャッシュレス決済やノータッチオペレーションといった操作や、在宅ワークや徒歩通勤や自転車通勤などの緩和。今まで多数の企業がチャレンジしてきたアクションを、新型コロナはいとも簡単にあるべき姿に変えてしまった。

テレビでニュースを見る。非常事態宣言が解除された街であっても、人が戻ってこない地域もあったりする。見る限り「あの日常」がいきなり帰ってくるような様子ではない。「あの日常」は既に変わっているのだ。いや変えられてしまっていると言うほうが適切なのかもしれないと僕は感じる。

これは行動の問題ではなく心理の問題だろうか。そのひとつとしてリバウンドが発生するのでは無いかという思いなどで、外出を控える方もあるのだろう。この新型コロナウイルスは、物理的攻撃、肉体的攻撃よりも心理的攻撃、精神的攻撃を仕掛けている、という言葉のほうが似合っている。

生き方や働き方が変わってしまったことで、どうしてもデメリットばかりを探してしまいがちだ。しかしながら僕は「時間の大切さ」を知る機会にもなったのだと思っている。今を大事に生きること。その先に広がる何かのために、時間を有意義に使っていくこと。そんなことを模索している。

だからこそ、目の前のスモールワールドであっても、一人一人がニューノーマルを確立していく必要があるのだと思わされる。みんなで集まって行なう飲み会は正しかったのか。全員が参加する会議は必ずしも必要なのか。何が不要不急で何が重要なのか。考える時間を与えられたようだった。

これまで僕は、時間とは時計のようにくるっと回って一回転して元のところへ戻ってくるとばかり考えていた。それは僕にとって大きな間違いだった。時間というものは生きていて、それは上へ上へと進んでいくものなのだと思えるようになった。それが分かっただけでも苦労した甲斐がある。

時間はあるようで、ない。僕にとっての時間とは積み上がっているはしごのようだ。この時間のはしごを登る気があれば、時間は手元にあるのだろうし、登る気がなければ、時間は当然ながら無い(足りない)ということになる。だからこそ、ニューノーマルで、時間を作ることに専念したい。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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