激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP
僕らのサッカー、僕らのJリーグが帰ってくるのは一体いつになるのだろうかと毎日のように情報を探している。ルヴァンカップの大会要旨も決まっていくだろう(地域ブロックごととかいう話もある)し、肝心のリーグ戦がどのようになるのかを早く知りたいところでもある。そのように過ごしている日々。
以前からも書いてきたとおり、新型コロナウイルスは、僕らの生活を少なからず変化させている。僕のテリトリーで真っ先に考えると情報ということになる。僕自身の情報発信にも数多くのニューノーマルが生まれている気がしている。インターネットが多くの情報で溢れかえっているのも必然なのだろう。
情報は、活かせば薬になり、またその逆もある。毎日このように書き続けている駄ブログであっても例から漏れることはないだろう。情報は生き物であり、元となる言葉もまさに生き物だ。さらには、人と共生することで成長していく。ひたすら書いているからかもしれないが、僕はそんな気がしている。
今この瞬間も情報は様々な形で多くの方から発信されている。情報量は、年を追うごとに増加していき、もう何が有益で何が無益かも判断がつかなくなってくる。そんな世の中で何を信じてどのように生きていけばいいのか、分からなくなるのも正直なところだ。なんだか、映画やドラマの中にいる気分だ。
そのような、映画やドラマのような生き方と、現実の生き方との境目が見えなくなってくることもしばしばある。今の自分は一体どっちの世界で生きているのだろう。放つ言葉は、自分の求める、自分がいるべき世界で発しているのだろうかと。僕が言うのも何だが、情報とは素晴らしくもあり儚くもある。
改めて書くが、情報は、活かせば薬になり、またその逆もあるのだ。だからこそ今、こうして書く、この瞬間を大事にしなければならない。本当に悲しいニュースを見た。どんな理由か何が原因かも僕には分からない。知れるのは目の前の現実だけ。情報、そして言葉の大事さを、改めて思い知らされるのだ。
僕自身の情報や文章から棘が突き出る場合があるやもしれない。そんなことを考え、意識しながら、情報という生き物とともに日々を生きていく覚悟が必要だと強く感じている。自戒の念に浸らせるために悲しい出来事があるとすれば、この世はなんて住みづらい場所なのだろうと思ってしまう。なんだか。
独り言を書きながらニュースを見ていたら、グループ別ではあるものの、明日から我らのセレッソ大阪が練習再開との情報を得る。別に情報を選別しながら見ているわけでも無いのだが、なんだか人の及ばない領域の方々が、僕の心を気遣ってくれているとしか思えない。情報ってやつはやはり生きている。
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