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20年前のスタートライン。14年目のリスタート。

僕の好きな映画の中のセリフのひとつに「すれ違ってなんかない。僕たちはすれ違ってない。端と端を結んだ輪になってひとつにつながっているんだ。」がある。無論これは恋愛映画での言葉ではあるのだが、人と人とのつながりに対しても充分意味を与えることができるくらい深遠だとも感じている。

先日とあるインタビューでも話したとおり、僕らという点と点が線となってつながっていくという言葉と近しい。どんな時代になっても一番大事な部分であるなと考えるとともに、これまでセレッソ大阪を通じてつながってきた方々との歴史を振り返ること。今日はそのような一日でもあるのだろう。

「2000年5月27日」に強く拘る理由をいまさら聞くまでもないだろうが、僕は死ぬまでこの日を糧に生きていくのだろうと思っている。もちろん今も気持ちは変わってはいない。2006年にサッカーショップ蹴球堂を誕生させ、毎年のように5月27日に催しを行ない、閉店も乗り越えて今日を迎えている。

糧、とは書いたものの、正直なところ僕にとってはトラウマのような存在でもあった。この日が近づくにつれ、あの試合が、あの試合の前後のできごとが、頭の中を駆け回っていた。記録もさながら、記憶というものの恐ろしさというか、本当にそんなものを感じながら生きているように思えていた。

逆もある。あの試合のおかげで深まった絆は今でも宝物であるし、自分だけで悩まなくても良いんだと思わせてくれるアミーゴもいた。なによりこの2000年5月27日を境に「サポーターとは一体何なのだろう」と考える機会をもらえたことに非常に感謝している。それだけでも気持ちが楽になってくる。

そして、2017年のダブルによって、僕の(たいしたことのない)重荷みたいなものが少しばかりどこかへと去ってしまった。インタビューでも話した「セレッソ大阪の歴史=自分のセレッソ歴」というなかで起こる様々な場面と、そこに一緒にいてくれる多くのアミーゴとのつながりが僕のすべてだ。

久々に本棚から出してきて「週間サッカーマガジン2000年6月14日号No.766」をおもむろに開いていく。18ページと19ページ。ちょうどそこに僕らのスタートラインがある。20年。僕らは走ったり、歩いたり、立ち止まってみたり。叫んだり、笑ったり、泣いたり。ときにはじっと座り込んでみたり。

この中には濃密な20年の物語の始まりが確かに存在した。今の応援から比べたらまだまだひよっこだったかもしれない。でもそこには間違いなくスタートラインが引かれていたのだ。僕らはそこに並んで、掛け声を待っていた。まるで子供のかけっこのように。一歩を踏み出したその先に、光を見た。

今日、また、そんな歴史の1ページをアミーゴとともに刻むことができた。14年前のこの日に産声を上げた蹴球堂が今、リスタートした。アミーゴたちの発した沢山の言葉たちがリフレインしている。それらのひとつひとつが僕の心を軽くしていく。つながっているんだ、僕らは。今ここに生きている。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP


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