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当たり前のようにそっと横にいる存在。

ドイツ・ブンデスリーガが再開した。まだ試合自体を見てはいないが、ようやくサッカーと過ごす毎日が戻ってきた。しかしながらJリーグはもう少し先になりそうである。サッカーと過ごす日々はまるでワンコと一緒に生きているようなものだ。当たり前のようにそっと横にいる存在なのだ。

今年もこの季節がやってきた。いかな新型コロナが猛威を振るっていたとしてもだ。犬の世界には大事な儀式が待っている。僕とワンコは真夏日に近い空の下をテクテクと歩いてとある場所へと向かった。家を出た途端このワンコの口からはピンク色の物体が出て上下運動を繰り返している。

とまあこんな書き出しをしてしまったが何てことはない。この時期に実施しなければならない、狂犬病の注射を打ちに行っただけである。併せてフィラリアの薬をもらう。ここから12月までこのワンコはこの薬を食べ続ける。これ以外にも近々、混合ワクチンを接種することになるのだろう。

ひとつ分かっていることがある。人間とワンコはどんどん似通ってくる。それは「医者嫌い」だ。今日のこのワンコはまさにそういう状況だった。動物病院に入ってから獣医の先生が注射を打つときまで尻尾が丸まってしまって、蛇に睨まれた蛙、もとい、先生に睨まれたワンコだったのだ。

「筋肉の付き方で分かるよ、毎日朝晩散歩に行ってるってこと」。獣医の先生から言われたこの一言が非常に嬉しかった。今までも、そしてこれからも当たり前のようにそっと横にいる存在。そんな今日はテリ子さんの命日でもある。これまで一緒に過ごしてきたワンコたち。すべて家族だ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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