もちろん、文章を書くのは楽しいことなのだけれど、どうしても、ときどき迷ったり疲れたりする。このブログも、小説も何もかも、お腹いっぱいになったかのように、何もかもを中途半端に投げ出したくなるときもある。いい加減そうに見える僕でも、そうなってしまう日もあるのだ。
それでも道を逸れずに進めるのは、ほんのわずかの理性というか。理性というとおこがましいのだが、なんだか一言で表すとするとこの言葉が浮かんできた。理性と本能。この、すべての人間が持ち得るふたつの対立のなかで、今、僕は揺れ動いているのだろう。そんな思いが駆け巡る。
そんな中で、ようやくCEREBAKAの第一回目を書き上げた。僕の自己満足でしかないこのメディアを誰が読むのだろうかという話も数多く存在するが、まあ初老の戯言だと思っていただければ良いのかなと思う。読みたければ読めばいいし、読みたくなければ放っておいて良いレベルだ。
初めてだったのもあってかなりざっくりとした感じになってしまった。だがトーク相手の話を聴いていると、段々と面白くなってきて会話が止まらなくなる。なんだか、自分自身が求めていたものがそこにあって、動画を作っていても文章を書き上げていても、本当に楽しく進められた。
予告動画の音楽を快く提供してくださる方もいたりと本当に助けてもらいっぱなしだ。そんな多くの方の力が僕を後押ししてくれるおかげで、文章を書けるのだと思うと、案外本能で突っ走るのも悪くない。だから時々理性をくすぐってくれて、まっすぐ歩けるよう指導をお願いしたい。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
それでも道を逸れずに進めるのは、ほんのわずかの理性というか。理性というとおこがましいのだが、なんだか一言で表すとするとこの言葉が浮かんできた。理性と本能。この、すべての人間が持ち得るふたつの対立のなかで、今、僕は揺れ動いているのだろう。そんな思いが駆け巡る。
そんな中で、ようやくCEREBAKAの第一回目を書き上げた。僕の自己満足でしかないこのメディアを誰が読むのだろうかという話も数多く存在するが、まあ初老の戯言だと思っていただければ良いのかなと思う。読みたければ読めばいいし、読みたくなければ放っておいて良いレベルだ。
初めてだったのもあってかなりざっくりとした感じになってしまった。だがトーク相手の話を聴いていると、段々と面白くなってきて会話が止まらなくなる。なんだか、自分自身が求めていたものがそこにあって、動画を作っていても文章を書き上げていても、本当に楽しく進められた。
予告動画の音楽を快く提供してくださる方もいたりと本当に助けてもらいっぱなしだ。そんな多くの方の力が僕を後押ししてくれるおかげで、文章を書けるのだと思うと、案外本能で突っ走るのも悪くない。だから時々理性をくすぐってくれて、まっすぐ歩けるよう指導をお願いしたい。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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