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当たり前を変えよう。

ついに五月を迎えた。皆さんもご承知だとは思うが、2020年も既に1/3が終わってしまっている。そういえばなんとなく正月くらいから新型コロナウイルスについての話をしていた気がするので、かれこれもう相当長い。緊急事態宣言も一ヶ月ほど延びそうだし、まだ先行きなどは不透明だ。

比較的早い段階からプライベートイベントを自粛してきたかいがあってか、周りに感染者がいない。とはいえ無症状の方も多くいるわけで、とにかく予断を許さない。先日テレビを見ていたら「コロナ世代」などという言葉も出ていた。なんだかもう当たり前のような生活になりつつある。

僕は内向的だからいいものの、アウトドア派の方々のことを思うと少々心が痛い。せめてテレビでJリーグでもあれば気持ちは落ち着くのだろうけれどそういうわけにもいかず。なので自己学習の時間がみるみる増える。読書。英語。プログラミングなんてやり始めると、いつのまにか夜になる。

すべての人に言えることだが、書ける書けないに関わらず発想という観点からでもプログラミングを学んだほうがいい気がする(と昔から言っている)。当たり前のように行なってしまっていることやいつもの行動に疑問を持ってみたりすると、違う局面を迎えることができるようになる。

当たり前、を変えていく努力をしよう。昨日の自分をアップデートしていこう。それを今僕らは試されている。そして当たり前ように感じてしまう新型コロナウイルスとの共同生活を否定し、早くもとの日々に戻れるよう、いや、今後、戻ったときのためにこの瞬間瞬間を活用していこう。

マスクが我が家にも届いた。五重構造?のこのマスクを早速付ける。確かに小さい。だが折角いただいたものなのでとにかく大事に使っていきたいと思う。僕は政治のことは分からないが、日本に住む全員がマスクを着用してもらうための策なら、多少小さいことなどさほど気にはならない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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