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変わったもの。変わらないもの。

二週間後の5月27日はサッカーショップ蹴球堂の14周年だ。皆さんは既に耳にタコができるくらいの状況だろう。2006年のオープンのときにスタジアムの付近でフライヤーを渡したりしていたななどを思い出してしまう。そこからかなりの時間が経った。僕らもかなり歳を取ってしまった。

JR鶴ケ丘駅前にF.C.OITOがオープンして二週間経った。店舗でも様々なアクションが行なわれている。ここだけの話、店には一度も立ち寄っていない(厳密に言うとオープン前の3月にビジネスのディスカッションで伺った)僕だが、来てくださるお客様には本当に感謝しか浮かんでこない。

そのF.C.OITO内にサッカーショップ蹴球堂は復活する。5月27日。まだまだアイテムの準備がままならない状況だ。そんな中で、昨日もデザインをまたひとつ考察しながらの深夜作業を行なっていた。アイテムのデザインそしてそのサイトの作成など。時間がいくらあっても足りないのだ。

ざっと考えて、意見を出し合って対話し、データを作りながら議論して、そして形を整えていきながら、今に至る。そう思うと、2006年からやり方はほとんど変わっていないのだ。あの頃と変わらず協力してくださる方々が多くいらっしゃって心強い。気持ちの高ぶりが止まらなくなる。

新型コロナウイルスはもちろん悪い面が非常に多いのだが、僕らの「考え方」というものに変化を促している。そして、助け合いの中で僕らは生きていることを実感する。「時代は急激に進歩している」ってことを少年Kの動画を見て考えさせられている。おじさんもちょっとだけ頑張るかな。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP


※最後まで見ると僕の歌が聴けます(笑)


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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

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今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP