今日五月十四日は大久保利通先生が東京の紀尾井坂付近(厳密には清水谷)で暗殺された日だそうだ。その場所らしきところを歩いたこともあるが、当時はどんな状況だったのだろうとか思ってしまう。明治11年(西暦1878年)というから今からざっと140年前。戊辰戦争からも10年だ。
今回の新型コロナウイルスとの戦争(と言っても過言ではない)のなかで、僕ら人類が造ってきた文化自体が変わっていっている気もする。特によく分かったのが「感染しないために経済活動を自粛する」ことと「経済活動をしなければ生活が立ち行かなくなる」という二項対立だった。
どちらが正しくてどちらが正しくないかは正直僕には分からない(こんな書き方をするとまた叱られるだろう)。「リスクを取ってでも経済を回さなければ」という意見も正しいのだろうし、「経済なんてなんとでもなる、まずは感染リスクを減らさねば」という意見も正しい気がする。
有事になるとどうしても他人に厳しくなったり、自分の選択と他人の選択を見比べてしまいがちになってしまう。人の心が荒んでしまわないよう、そのケアの重要性を改めて感じる毎日だ。今日39県で緊急事態宣言が解除された。東京や大阪はまだ先だが、人間の底力を見せるときが来た。
少し話を戻すのだが、大久保利通卿が亡くなったとき、数え49歳(満47歳)だったそうだ。満年齢で考えれば少々ずれもあるが僕も現在49歳。幕末明治の偉人を含め、諸先輩方ほど突っ走ってこれたわけでは決してないが、ほんの少しぐらいだけでも、底力を見せられていたのなら本望だ。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
※鹿児島の大久保利通卿の像には清水谷のときの馬も一緒にいる。
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