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Google Bloggerで投稿500回。

時計のバンドが切れた。もう不吉だとかを言う歳でも無いので、なんとかしたいという思いだけだ。僕を知る人は分かっているだろうが、本田圭佑選手ばりに両手首に時計をマイて生活をしていた(もちろん寝るときも二本の時計が存在した)だけに若干違和感を覚えながらの日々である。

なんだかんだで昨日の投稿が500回目の記念だったようだ。特にこの4ヶ月で120本近く書いているわけだから、この先どうなるのか、に一抹の不安を感じている。ブログとはお風呂のようなもの。沸かし続ければ温かいが、少し間を開けるとすぐに冷めてしまう。だから人はお風呂なのだ。

とまあ、なんとなくメタファー的な書き方をしてしまったのだった。昔から例えとか比喩表現が僕は好きだったので普通に使用しているのだが、「さあメタファー表現で語ってみて」と言われるとたちまち脳の思考が停止してしまう。ボキャブラリーの無さに心が折れそうになってしまう。

いまコロナ禍で巣籠もっている中、動画や文章を掲載してくださる方々のおかげで更なる言葉の学びに勤しむ日々。なんだか仲間に助けられている気持ちが非常に大きい。特にオンラインセミナーやそれに付随して録画した映像を、惜しげもなく閲覧させていただけることに感謝している。

501回めがこんなダラダラと書いていいのかと心で思いながら「今までと変わらんやん」という吹き出しが皆さんの頭にいっぱい付いているのを想像している。仕方ないので僕は脳を活性化するためにこんな道具でも使うしかないかなと思っている。やってみてたが言葉は生まれそうもない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP


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黒パグ、「一粒万倍日と天赦日が重なる日」に、病院へ行く。

一ヶ月前に狂犬病注射とフィラリアの薬をもらいに通院した際、その帰りしなに先生から「来月、混合ワクチンを打ちに来て」と言われた。なので、この土曜日に黒パグを連れて病院に行ってきたのだが、そこで起こったことを書いてみる。 雨が振りそうな天気でもあり、どのワンコも早めに連れて行こうかなとなったのか、病院は思いのほか混んでいて密だった(とは言え3人しか入れない)。しばらくして僕らの番が回ってきたので、黒パグと僕はドアを開けて診察室に入った。 「変わりはない?」「あー、ちょっと時々お腹周りを布団でスリスリすることがあります」「じゃあ診察してみよう」ということで色々と診てもらった。黒パグの全体を見てもらったのちに先生が「うん、これは外耳炎」。え?耳ですか? 思いも寄らない回答だったので一瞬面食らった。先生は薬と綿棒(みたいなやつ)で耳の治療を始めた。黒パグと目が合ったので軽く覗き込んでみたら、「顔を見ない!」と先生から一喝された。治療中にワンコが集中できないからだそうだ。 良かれと思ったら叱られた。気を取り直して見ないようにしていたら、今度は黒パグに猿ぐつわが装着されていく。目と口をカバーするようにセットされたこのワンコはついに暴れることを諦めてしまった。大人しく治療を受け入れ始めた。 そしてようやく耳の治療が終わり、混合ワクチンの注射が終了して帰ろうかと思った瞬間、思いがけない一言を先生から聞かされた。「カビですね」。どういうこと・・・。要はこの時期、お風呂に入ったあとのケアが必要だということだ。 ツイてない日だったのかもしれないと心が叫びたがっていたが、未だ病院は密でもあったので止めておいた。少々想定外の出来事ばかりが起こったので、今日は厄日かよ、と思ってしまう。僕らはかゆみ止めなどの薬をもらって家路に着いた。 いやいや、待てよ。まったくもって厄日なんかじゃない。そうだ。今日は「一粒万倍日と天赦日が重なる日」だった、と宝くじ売り場を見て思い出した。まじまじと宝くじ売り場を見てみる。TOTOやBIGを見て、改めてサッカーの再開を喜んだ。 宝くじでも買ってみるか。「ドリームジャンボ20枚お願いします!」。店員さんが首をかしげている。「ドリームジャンボは終わったよ」。暑さで舌を大きく出しっぱなしの黒パグがこちらを見ていた。まるでニヤニヤ笑っているようだった。 NEVER STOP...

記録というものは無いよりはあったほうが良い。

別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

未来のウルトラ。

久々のブログである。なかなかどうして、何を書こうかと悩んでいる自分がいた。もうひとつは #コールリーダーウダウダ の存在が大きい。ここで毎週セレッソ大阪のことを話しているからかもしれない。なんだかんだでかれこれ八十回を超えてきた。 実に多くの方にも聴いてもらえていることに満足してしまっている自分もいたりして、少し戸惑いがあるのも事実だ。これを皮切りに、他のサポーターが続々とTwitter Spaceを始めてくれていることこそが、嬉しい気持ちに更に拍車をかけていく。 逆に、このような年齢になってなお、このような表舞台に立ってよいのかとも思ってしまう。若いサポーターの方々がもっと前面に出てくる世界を期待しているのだが、話を聞くたびにまだまだ古参サポーターがいて成り立つ世界だなとも感じる。 最近のスタジアムを見ていても、応援、チャント、という観点ではチームはまとまっていると見えるものの、チームのサポートはそれだけでは無い。そこにはフラッグもあり、チームや選手に対する、ゲーフラや大小様々な横断幕も存在するのだ。 例えばゴール裏の横断幕ひとつにしても、個々人がただ貼るだけではなく、全体のコーディネートも考慮して配置を考えるなどを行ってきたが、今はどのように貼っているのだろうか。場所の取り合いや奪い合いは起こっていないだろうか、など。 そんな話し合いにも、積極的に若い方々が参画できているのだろうか、とかが頭の中を駆け巡っている。先日もTwitterに書いたが、小学生たちが、ウルトラを目指したいと思う世界に、ゴール裏がなっているのか、なんてことをつい思ってしまう。 来週の今頃には、歓喜のなかに僕はいるのだと思う。その輪には未来のウルトラたちはいるだろうか。あの頃のように次の世代へとつなげられているか。柏レイソル戦の試合後、当時の小学生たちに会った。とても立派なウルトラになっている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP