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第5節 サンフレッチェ広島戦。

人生とは実にはかない。どうして、どこで、どうなってしまうのか本当に分からない生き物なのだ。そんな人の胸の内は、他の誰にも知ることなどできやしない。世知辛い世の中を僕らは懸命に生きている。だがどうしようもないこともあるにはある。

幸せとは一体何なのだろうか、と、ふと、考えるときがある。答えなど簡単に出てくるわけもなく、その質問はいっときの露と消えゆく。それでも僕は生きている。食べて、寝て、少しの仕事とそれを上回る楽しみとともに僕は毎日を生きているのだ。

楽しみのひとつであるセレッソ大阪の試合を見る。チームの、そして選手のコンディションや試合内容に対して、あーでもないこーでもないと、リモート観戦のモニタに向かってボヤきながら過ごしている。勝てば喜び負ければそう、悲しみに暮れる。

今日の広島戦は喜怒哀楽の極みのような一進一退の良い試合だった。気になるシーンが少なからずあって、最後の最後まで難しかった。また、替えの効かない選手とその替わりの選手(という表現もどうだろうか)のローテーションの重要性も知った。

前節の嫌な負け方から巻き返した試合に満足しつつも、ここで終わりではないことに更に気持ちを高める。選手交替など考えも違うように、ロティーナ監督の胸の内は僕に知ることなど出来るわけもない。色々考えてみても、他人には到底分からない。

そういう僕自身も今、胸に秘めていることがある。来たるべきときが来たらどこかで報告したいと思いながらこの瞬間を懸命に生きている。とにかく今を大事に生きること。僕に出来るのはだせるのは多分そういう感情。次の試合が楽しみでならない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP


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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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