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長文だが、なぜ僕が幕末明治の歴史を好きなのか、をちょっと明かそう。

セレッソ大阪とヴィッセル神戸の息詰まる試合から一晩経つ。Jリーグクラブの地域を思うたびに幕末明治の史跡と照らし合わせてしまうのが僕の悪い癖だ。このゲームの場合は、大阪と言えば鳥羽伏見の戦いでも様々な出来事が起こった街である。

一方神戸の街には神戸海軍操練所跡がある。また兵庫県全域にまで範囲を広げると、長州奇兵隊の駐屯地があり、赤穂は幕府伝習隊として五稜郭まで戦い続けた箱館政権の陸軍奉行、大鳥圭介の生誕地だ。大鳥圭介は淀屋橋の適塾にもいたそうだ。

最近では薩長史観だけでなく、幕府側の書物などからもこの幕末明治の世がどんな状況だったのか具に見てとれる。何が良くて何が悪いかなどという言葉で言い表せないほどの出来事が、あちらこちらで動いていたということに心が躍ってしまう。

ほんの150年ほど前のことであるにもかかわらず、真実かどうかの見極めが非常に難しい。「勝てば官軍」という言葉通り勝った側によって歴史は塗り替えられもする。この時代は明らかに何らかの手によって変容しているのだと簡単に推察できる。

その中でも一番気になる存在というのがやはり坂本龍馬の暗殺となってくる。なぜ殺されたのか、なぜ殺されなければならなかったのか。実に悩ましい謎でもある。そのために様々な憶測と諸説が入り乱れ、あることないことのオンパレードだ。

当然、幕府方からも討幕派からも恨まれる要素はたんまりあり、また、そのような立ち位置におりながら、普段から用心が足りないことを指摘されつつも無防備な状況が多かったという坂本龍馬。暗殺されるべくして暗殺された展開、でもある。

坂本龍馬を暗殺したとされる京都見廻組が潜伏していた京都府上京区にある松林寺を訪れたことがある。いくら近道したとしても、暗殺現場の近江屋まではゆうに50分ほど歩くことになる。しかも付近には薩摩藩邸もあり厳重体制だったはず。

そう考えると、浮かんでくるものは非常に分かりやすいし、どこで、どのように絡み合ってこのような結末を迎えさせたのかなど見えてくるものも多いだろう。絶対にあり得ないことが現実に起こってしまうという。事実だけが隠されてしまう。

なぜ僕が幕末明治の歴史を好きなのか。それはまさに「カオス」だったから。黒船でマシュー・ペリーがやってきた1853年から、西南戦争が終結する1877年までの四半世紀に、実に様々な、通常では考えられないような「カオス」が発生している。

なぜ坂本龍馬は浪人の身分であれだけ自由に立ち回ることができたのか。なぜ薩長はあそこまで戊辰戦争を急いだのか。なぜ戦力の上でも有利にあった幕府軍は関西地域から撤退したのか。なぜ榎本武揚は函館に新政府を作ろうと思ったのか。

なぜ岩倉使節団は戦後処理のさなかに一年半以上も国を空けなければならなかったのか。征韓論とは一体何だったのか。なぜ最後の内戦「西南戦争」は起こったのか。なぜ西郷隆盛はほとんど策も無いまま最期のときを迎えることになったのか。

僕は歴史の研究家でもなければ、小説家としてこれらの謎を書いていきたいわけでもない。ただ純粋に「なぜこうなったのか」「何が起因したのか」そして「誰がそうし向けたのか」に興味のある、ただのオジサンだ。どうか怒らないでほしい。

少なくともこれらの事象については諸説あり、そのほとんどが謎に満ちていると僕は思っている。ひとつは利権。ひとつは金。ひとつは絡まりあった感情。これらが複雑に交わったとき、多くの「カオス」が生まれる。現代もまさに同様だろう。

今のこの時代にもこの「カオス」を求めていると言えば少し変な奴と思われてしまうかもしれない。しかしこの幕末明治に起こったような変革は形を変えて今を生き続けている気がする。あの時代から学ぶことは多い。今こそ目を向けるべきだ。

セレッソ大阪の次節はサガン鳥栖とのアウェイ。佐賀県も幕末明治の史跡の宝庫だ。しかもこの場所も非常に謎に満ちている。今は鳥栖には行けないが、機会があればまた佐賀城を囲むかのように存在する多くの史跡を堪能したい気持ちである。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP



京都・松林寺には特に碑らしきものは、なかった。

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