こういう試合のフォローのしかたは様々ある。ゴール裏にもしサポーターがいたなら何か手の施しようもあったかもしれないが、このコロナ禍の現状では声をかけることすらままならないだろう。課題も選手自身でクリアしていく必要がある。
何よりもクラブのことを一番に考えているサポーターの存在が、こういう試合では必要になってくると思う。応援の力は本来こういうところで発揮されるのだ。歌って踊ってだけではないということを最も考えさせられる試合展開でもあった。
セレッソ大阪の歴史の中でもかなり多い「心が折れそうになる試合」のひとつだ。選手交代や戦術変更など、試合中に何とか修正しようとしても、どうにもならないようなゲームは時折ある。もちろん大事なのは選手自身のメンタルだとは思う。
プロ選手とその域を目指している選手たちで構成されているU-23でも同じだ。だが彼らも人間なのだ。ガムシャラに行ったとしても難しいときだってある。だからこそ、そんな背中を押すことができるのが、サポーターなのだと僕は思っている。
そういう意味では、このようなつらい戦いへのフォローだけでもできるようになれればいいなと思ったりする。選手の頑張りやクラブ、スタッフだけに頼っていては絶対に厳しいだろう。応援というのは音を流せば良いというものでもないのだ。
クラブもスタッフもそして選手たちにも、その思いに気づける方と気づかない、気づけない方がいるのも事実だ。サポーターや応援が面倒に感じてしまう場合もあるだろう。だが長い時間を共に過ごしてきたのは間違いない。だから分かるのだ。
このような状況のなか、サポーターという存在や、応援という存在の重要性を強く感じる。四半世紀以上のあいだに各クラブで育まれてきたこのサポーターの力、応援の力。ときにこんな試合になってしまったら、ぜひとも思い浮かべて欲しい。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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