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急がば回れ、僕。

若い頃はよく金融商品の短期売買を行なっていたが、最近はもう満腹感もあり情報に流されないようになった。自分にとって有益か否かを見極められるようになったわけでは決して無いが逆に言うと「信頼できる情報」を手に入れたからだ。

そういう理由(というわけでもないが)で日本経済新聞はだいたい三日遅れで読むようにしている。何故こんなことをしているのかと聞かれるが説明は必要無いだろう。この行動、時間を置いて考えることで見えてくるものがあると知った。

焦るのは良くない。人様はどうであれ「急がば回れ」が自分には合っていると感じる。このコロナ禍然り。以前にも書いたのだが、多くの書籍を読む時間が増えたと考えてみる。ゆったりと過ごしているわけではないけれど余裕は若干ある。

そう言えば最近Googleフォトのアプリがアップデートされ、どの地域で撮影された写真かがマップ上で見れるようになった。中々海外には行けないものの、冒険小説同様に訪れた気持ちにさせてくれる。ちょうど今、香港の写真が出てきた。

わずかばかりだが香港とも接点がある身としては非常に関心を持ちながら情勢を見ている。僕はあまり情報音痴でもあるのでいい加減なことは言えない。年に一回程度は訪れていた街でもあるので、何とかまた行けるようになれれば嬉しい。

今後も情報をキャッチしながら次のステージへと向かう。「信頼できる情報」が今日も飛んできた。さっと目を通し、また僕は「急がば回れ」という言葉を思い出す。あとでゆったりとした気持ちでもう一度読めばいいかとメールを閉じた。

とは言え初めて訪れた7年前は仕事終わり(しかも飲み会後)の金曜日の深夜便で香港へと向かい、日曜日の深夜便で東京羽田に帰ってきてそのまま仕事に向かった記憶がある。十分「急いで」「回っていない」状況だったなとつくづく思う。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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