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第6節 ヴィッセル神戸戦。

梅雨空の雨が続いている。それほど外に出ていない(基本的にはワンコの散歩くらい)ので濡れることはほぼないのだけれど、それでもジトっとしてムシっとするこの時期は身体に良くない。これから四連休だが、仕事の時間がたんまりだ。

以前も書いたかもしれないがトルステン・フィンク監督とは2002年に訪れたバイエルン・ミュンヘンの練習場で一緒に写真を撮らせてもらった思い出がある。そのフィンク監督が率いるヴィッセル神戸との試合は、一進一退の状況となった。

胸が苦しくなるくらい息の詰まるゲームだ。一年に一試合あるかないか。正直言うと身体にはよろしくない。よろしくないがそれもサッカーの醍醐だろうか。ゴールは水物で守備は造りあげていくものだとすると、こういう90分もありえる。

たしかにアンドレス・イニエスタ選手を中心に神戸は上手くて強いと認める。だが我がセレッソ大阪の選手たちはそれ以上に素晴らしいと感じた。まるで、強い相手と戦うことで更に能力の限界を超えていくドラゴンボールの孫悟空のようだ。

ただ、連戦で出場している選手の疲労が気になっているのも否めない。前節同様、選手交代に多少モヤモヤとするところもある。あの選手も、もう少し長い時間見たいと思ったりする。まあ僕などが語る言葉には何の責任も何も無いのだが。

繰り返しだが、胸が苦しくなるくらい息の詰まるゲーム。もっともっとこんな真剣で斬り合うかのような張り詰めた空気の試合を僕は見たい。このような試合はミスがあってもミスのように見えない。ピッチにいる22人がそれを補っている。

選手もファンもサポーターも、もちろん監督も勝ち点1で満足しているとは思えない。僕も勝ち点2を落とした感がある。だがこの勝ち点1は必ずどこかで生きてくるはずだ。そろそろターンオーバーで新たな選手たちの出現を願ってやまない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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