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ダービーマッチがある街の特権。

昨日とある若者に、以前書いた隆慶一郎先生の前田慶次郎利益を描いた小説「一夢庵風流記」を紹介した。もう思い出せないが、僕がこの若者と同じくらいの二十代前半に初めて読んで衝撃を受けたこと、今でも蘇る。歴史とはそういうものだ。

初めての大阪ダービーはちょうどその頃くらいだ。そこから一喜一憂(まあ喜ぶことは非常に少ないのではあるが)しながら25年。1995年といえば神戸の地震だったが、まさかこの時代において、このような状況になるとは思いもよらなかった。

Jリーグ再開初戦の大阪ダービー。そのリモートマッチでの開催は一体どうなるのか。もちろんアウェイでもあるので自分たちでそのアウェイ感をどう表現するかなのだろう。ダービーでの観客無しの試合は、必ずや歴史に1ページに刻み込まれる。

プレミアリーグも同様で、再開後のエヴァートンとリヴァプールもリモートでのマージーサイドダービーだった。モニタ越しでしかなかったが、グディソンパークがなんだか厳かで神聖な感があったと思ったのは、果たして僕だけなのだろうか。

まだまだ両クラブに成績の面でも差があるし(マージーサイドでも言える?)おこがましい話なのかもしれない。しかしながら、観客がいようがいまいが、最高の舞台であることは疑いようのない事実だ。これが連綿と受け継がれている歴史だ。

「ダービーは負けてはならない」これは、ダービーマッチのある街をホームとするクラブの特権でもある。この気持ちがあり続ける限りは僕らは何処へでも行ける。何処までも行こう、道は険しくとも、希望、夢、そして勝利へ、セレッソ大阪。

来年は万博に行けるだろうか。太陽の塔をGoogleフォトから見つける。確か2017年のルヴァンカップセミファイナル。そう言えばBloggerに移って最初に書いたのもこの試合。歴史とはそういうもん。大阪万博同級生が言うのだから、間違いない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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